四十九日が過ぎて

投稿者:匿名

2019年12月の上旬、母が心筋梗塞(いわゆる突然死)で他界しました。
勤め先で仕事中だった私は、普段は連絡をしてこない兄が日中に私のスマホに連絡をしてきたことに対して、直感的に悪い知らせじゃないかと全身の筋肉がこわばりました。

嫌な感じがしつつも、電話に出ると兄が「母ちゃんが倒れた!やばいかもしれないからすぐに病院に来てくれ!」と第一声。もうそこから私の記憶は曖昧です。


結果として母はそのまま永い眠りについてしまいました。悲しみに暮れる間もなく、そこからは死亡届や火葬のこと、通夜・告別式の手配などで振り回され、あまりに急な出来事に頭と気持ちが追いつかなく、ただただ慌ただしい時間が流れました(喪主である父、そして兄の方が私以上に慌ただしくしておりましたが)。

そんな中でもお通夜の際、母と二人きりの時間になった夜がありました。それでも悲しみや後悔の念とか、しっかりと見送ろうという気持ちなんかがない交ぜになり、頭の中はぐちゃぐちゃで、今思えばとても冷静ではありませんでした。


母の死を現実として受入れられるようになったのは、葬儀も終わり、私の中の日常が始まってからです。

実家に戻っても母はおらず、父の寂しい後ろ姿だけがあります。なんでいつも笑ってた母はもういないのだろう。あまりにも突然するぎる。もっと思い出をつくっていきたかった。これからは私が支える番だったのに・・と悲しい気持ちが怒濤のごとく押し寄せてきました。
葬儀が終わって二週間ほどは、本当に泣いてばかりの毎日を過ごしました。


それで先日はようやく四十九日の法要。母が亡くなってからというもの、母との数々の思い出を回想していく中で、ようやく慈しみの気持ちを持って母のことを想えるようになってきました。

なんでも亡くなった人は四十九日を境にして、成仏し、極楽浄土へいけるかどうかが決まるのだそうです。あんなにも多くの優しさと笑顔にあふれていた母のことなので、きっと天国で笑っていることと思います。

掲示板を見ているとまさに今悲しみに打ちひしがれている人もおりましたので、場違いな投稿であればすみません。でもどこかにこの想いを残したくて、投稿させていただきました。





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